コラム - 第2話


第2話 - キャリナビの記事から  by 矢萩 秀明
 この記事はNPOキャリナビ「お仕事人辞典」に載っている”矢萩秀明”の記事を転載したものです。キャリナビへ直接アクセスしたい方は次のURLをクリックしてください。

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1.「音楽なんか嫌いだ!」からミュージシャンへ
2.サポートミュージシャンとしての波乱の初仕事
3.世界一の学校を作ろう!
4.音楽を通じて、ステキな場の教室を
5.忘れちゃいけない。何のために音楽を?
6.音楽とは何か。音楽を志す人への思いを込めて
7.取材後に頂いたメッセージ
8.記者が取材後に感じたこと



1.「音楽なんか嫌いだ!」からミュージシャンへ

記者(以下、記): ミュージシャンになろうと思ったきっかけを教えていただけますか?

矢萩さん: 僕が小学生の頃、ちょうど兄の年代でベンチャーズが流行った時代でした。(僕の時代っていうと、タイガース、テンプターズといったグループサウンズが全盛の頃なんだけどね。)その頃高校生だった兄達が、勉強なんか全くしないで音楽に夢中になっていて、それを見た母親が嘆いているわけですよ。まだ小学生だった僕は、お兄ちゃん達がお母さんを悲しませているのに心を傷めて、「僕はああいう風に絶対にならないから。音楽なんか嫌いだ!」って、言ってたんです(笑)。ところが中学生の時のあることがきっかけで、変化が訪れました。僕が中学3年になる時、卒業生を送り出す会があったんです。その時に卒業生の代表が何人か出てきて、会をやってくれたお礼に、スパイダースの『夕日が泣いている』という当時の大ヒット曲をフォークギターでジャンジャカ弾きながら歌ったんですよ。それを僕は客席で見ていて、すんごいショックを受けたんです。

人前で、ステージで、ギターを弾いて歌うっていうのは、TVの中の世界だとずっと思っていたから。自分の知っている先輩がそういう風にできるっていうことが、凄くショックなの。「あ、普通の人でもこういうことができるんだ」と思ったんですね。‥‥それから音楽に目覚めたちゃったんです。「じゃあ自分でもやってみよう」と。僕はグループサウンズのコピーから始まったんです。まだ中学3年の時、住んでいたのは宮城県なんですけど、田舎だったせいもあって、楽譜もなかなか手に入らないし、友達で音楽やっている人もあんまりいないし、情報も入ってこない。だからあまり本格的にはやらなかったんです。高校に入ってから色んな仲間と出会えて、その中にはフォークをやっている人もいれば、ロックをやっている人もいましたね。そこからだんだん影響を受けて、本格的にやり始めたんです。でも、やはり田舎なので、楽器を持っている人自体がすごく少ないんです。だから、友達を求めて、他の学校の文化祭とかにギターを持っていくんですよ。すると教室で何かやってたりするでしょ。そこへ行って、「飛び入りでやらせてくれ」って頼むんですよ。たいていは受け入れてもらえて、そこで一緒にやりましたね。時には向こうの方が数段うまかったりして、コテンパンにやられたり、ガッカリして帰ってくる事もあるんですけど。時には息投合して、そこで知り合いがだんだんできていきましたね。

記: 最初からギター一筋だったのですか?

矢萩さん: そうですね。ただ、楽器をやっている人が少ないので、アマチュアバンドを続けている中で一番困ったのは、ベースをやる人がいなかったということですね。ギターはいっぱいいるんですけれどね。それでギターを他の人に譲って、僕がベースを弾いていた時期もあります。

記: ギターを習いに行ったりはしなかったんですか?

矢萩さん: そうですね。楽器店もほとんどなかったし‥‥宮城県の片田舎ですからね。仙台まで行かないと楽器屋がないんです。家から電車で、30分か40分くらいですかね。音楽雑誌も今ほどはないし、手に入るのはレコード盤だけですよ。レコード盤を買ってきたらそれをコピーするんです。

記: じゃあ全部耳コピで?!(※耳コピ‥‥自分の耳だけを頼りに曲をコピーすること)

矢萩さん: もちろん!もちろんです。レコードプレーヤーですから、傷だらけになるんですけどね。僕が自分でコピーして、譜面に書いて、渡して、練習していくっていうようにやるんです。バンドでやりたかったから、ドラムの楽譜もベースの楽譜も、言い出しっぺがやらなきゃいけないんで(笑)。なんでも自分でやらなきゃいけなかったんです。もうそれしか道がなかったし。今だったら譜面を買えばいいですけど、それが売ってなかったんで、しょうがないから自分で作る。そういう不便な時代だったんです。

記: ギターの他に興味のあったことだとか、特に何かに目を向けていなかったんですか?

矢萩さん: 僕はね、音楽に出会う前には、科学者になりたかったんですよ。小学校の頃に夏休みの研究、アリの研究、キノコの研究とかあったよね(笑)。あと、恐竜が好きだったり日本のお城が好きだとか、それから鎧兜が好きでしたね。凝り性で、1度はまると、とことん調べ上げるんです。

記: "とことんやる"という精神が、ギターにも活かされていたんですね。

矢萩さん: そうですね。そうやって独学でずっとやっている中で、社会人のバンドの方に声をかけられたんです。東北放送というTV局で照明をやっている人で、アマチュアで音楽活動もやっている人でした。ある日演奏している時に「君、ウチのバンドに入らないか?」と声をかけられたんですよ。遊びに行って一緒に演奏したら、みんなに気に入ってもらったらしくて、一緒にやることになりました。それからはその人の家に行って、色んな事を教わりましたね。こういう音楽もあるよっていうことや、どうやってセッションをやるか(※セッション‥‥何人かで即興で演奏しながら音楽を作り上げていくやり方)など、色んな事を学んだんです。それからだんだんプロに憧れるようになって、このまま仕事にしたいと思い始めたんです。父親にプロになるって言ったら大反対されましたけれどね。「芸能界はそんなに甘いところじゃない!」って(笑)。父親は僕を大学に入れて弁護士にさせかったらしくて(笑)。僕は、全然そんな気はなくてね。その頃は高校生で、髪が長くて、ロック少年だったし。ウチの実家は呉服屋なんですが、一番上の兄が呉服屋さんの2代目になって後を継いでいたんですよ。そしたらその兄が僕のことをかばってくれたんです。長男はパイロットになりたかったんですけど、その夢を棄てて、実家の呉服屋の後を継いだんです。自分は悔しいんですね。夢を追い求められなかったから。「弟にはそういう思いをさせたくない」って言って、父親を説得してくれたの。おかげで父親の許可がおりて、プロを目指す事になったんですけど‥‥その代わり条件が1つだけ父親から出されたんです。「プロになるなら、音楽の学校に入りなさい。そこで勉強したら、なんとかなるだろうから」って。

その当時ポピュラー系の音楽学校と言うと、アメリカのボストンにあるバークリーという音楽大学が世界で唯一のJazzの音楽大学だったんです。日本ではYAMAHAのやっているネム音楽院がありました。日本でわかったのはそこだけだったので、じゃあそこに入ろうということになったんです。仙台のYAMAHAの楽器屋さんに行って聞いてみたら、「ネム音楽院に入るには、試験があるから。失礼だけど、あなた今のままじゃ入れないから、ここに通って特訓を受けなさい」って言われました。そして半年間くらいその仙台のYAMAHAに通って、特訓を受けたんです。当時、試験は色々あって、例えばピアノが弾けなきゃいけないので、それからピアノも習いに行きましたね。

記: 習い事をするのは、楽器屋さんで特訓することになって初めてですか?

矢萩さん: 習ったのはそれが初めてですね。ギターの実技は自由曲演奏、課題曲演奏、初見演奏。それと聴音っていう音の聞き取り(音をあてるやつですね)と音楽理論とソルフェージュかな。それを全部クリアしないと入れないんですよ。半年間必死になって勉強しましたね。そこには東京からプロのギタリストが、毎月教えにきていたんです。その先生に付いて、本格的なことを教えてもらいました。で、まあなんとか合格できて、入れたんですけど‥‥そこからですね。こういう道にちゃんと入れたのは。だから父親のアドバイスは正しかったんです。当時、学校は2年制だったんです。(YAMAHAが独自にやっていた学校で、専門学校の資格はなかったのですが)そこで2年間勉強するはずだったんですね。ところが、1年ちょっとぐらい勉強した時に、学内が不安定になってきたんです。というのは、1年ぐらいですぐプロデビューしてしまう人が出てきたんですね。そうすると、みんな焦るでしょ?それで、バタバタと辞めていって、仕事に就き始める子たちが出てきたんですね。デビューしていった人というのは、たとえば、ちょっと古いけれどBOW WOWっていうロックグループのメンバーにいた山本恭司っていうギタリストが同級生でした。彼は世界じゃ有名なんですよ。

そんな時に、ある日、真鍋さんというベースの先生に「矢萩、お前、こんな学校にいてもプロにはなれないぞ」って言われたんですよ。いきなり(笑)。ガーンってショックを受けましたね。プロになる為にこの学校に入ったのに、「ここにいたらプロになれない」って言われて、どうしようかと思って・・・。「先生どうしたらいいんですか?」と聞いたら、「お前は俺のバンドに入れ」「はい!」って(笑)。すぐその日のうちに、院長の所に行って「辞めます」って辞めてきました。親にも言ってなかったんだけど、勝手に辞めちゃったんです。それで、それから1〜2年くらい下積みの仕事をしました。ただ、僕の場合、ギターがうまくて、譜面もよめて、曲も作れて、演奏もうまくて、それでプロになったわけじゃないでしょ。まだ学校に入って1年ちょっとだから、アマチュアとそんなに変わらない状態だったんです。だから、なぜ僕を誘ってくれたのかは未だに分からないんですよ。とにかくそのおかげで、プロ活動を始めたんです。最初の仕事は、ホテルの中にあるバーとかクラブとかキャバレーとか、そういう所で、1ヶ月なり住み込みでずーっと演奏するんです。毎晩歌手が変わるんですよ。マネージャーとクラブ歌手が楽譜の束を抱えてやってきて、「よろしくお願いします」って挨拶して、各楽器のところに、譜面の束を、ドサッ、ドサッと置いていくんです。「今日はこれですよ」って言って。それで、みんなが集まって打ち合わせだけはするんです。マネージャーが「この曲は、テンポはこれくらいで」って、それだけ。テンポと、曲と曲の間を繋ぐかどうかだけ。「この1曲目と2曲目は繋いで演奏して下さい」とか、「ここで、しゃべりを入れます」とかね。そういう説明はその場で、みんなの前でやるんですけどね、その後は本番ですよ。

記: 初めて見る楽譜なんですよね。初見ってことですか?

矢萩さん: 本当の初見ですね。ところが、力があってプロになったわけではないから、そうポンッと置かれたって、弾けないし、読めないわけですよ。だから必死になって、譜面を一生懸命読むんです。でも全然追いつかなくて、本番になるとお構いなしにどんどん曲は進んでいきますから‥‥。弾けないわけですよ。歌手が歌い終わって、「ギターソロ!!」って言ってるんだけど、ギターはもうパニックになってるっていう感じでした。「どこなの?どこなの?どこなの?‥‥これ!?」とか言って、でたらめ弾いていました(笑)。そういうことの連続ですね。時には全く弾けないときもあって、ただ立ってるだけ。すると、後でバンドリーダーに怒られるんですよ。もちろん歌手にも怒られて、マネージャーにも怒られます。ひどい時には、歌手がカンカンになって「私のステージを台無しにした!」って怒った時がありましたね。その時は、バンマス(*バンマス‥‥バンドマスター:バンドリーダーと同じ)につまむように連れてかれて(笑)、歌手の所に置かれて、土下座して、「すいませんでした。悪うございました」って謝りましたね。そうすると、「あなたプロでしょ?お金払ってんのよ!」「ごもっともです」ってペコペコと謝って・・・。そんなことばっかり続くのも嫌だから、必死に練習するんですよ。終わった後とかも練習するし、最初に譜面をもらって、みんなは食事に行ったりしてるんですけど、食事も行かないで、練習です。その連続ですよ。

記: そんなに辛い仕事をしていて、途中スランプに陥ってしまったりはしなかったんですか?

矢萩さん: ホテルに泊り込みでやってるから、逃げる訳にも行かないし。帰るって言ったって、まだギャラも貰ってないから電車賃もないし帰れないですよ(笑)。責められながらもやるしかないんです。背水の陣ですね。

記: でも、実力はつきますよね。

矢萩さん: もう、必死でやりますからね。

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2.サポートミュージシャンとしての波乱の初仕事

矢萩さん: 必ず下積みを通るんですよ、その当時のミュージシャンって。現場を通して恥をかきながら、知識とか、能力とか、技術をそこで学ぶんですよ。そこがね、要するに「学校」なんですね。だから、ネム音楽院を1年ちょっとで中退したけど、その1年間で学んだことっていうのは、結局その現場では何も役に立たなかったんです。後になって勉強したことの意味がだんだんわかってきましたけどね。

記: 真鍋さんが確か京都出身だったので、京都?大阪?神戸の大学の学園祭を、ツアーみたいな形で、バンドでまわりましたね。ライブ活動を始めたんです。2年ぐらいそういう仕事をしていて、その後バンドが解散になってぶらぶらしてたんですよ、本職もなく。そしたらネム音(ネム音楽院)の時の同級生で、ドラムをやっている宮崎さん(彼はすでにその時すでにバックバンドとしてプロ活動を始めてました)から、ある日電話がかかってきたんです。「矢萩、今時間あるか?ギター担いで渋谷に来い!」って。当時、渋谷に"エピキュラス"っていうYAMAHAのスタジオがあったんですけど、そこへとにかく行きました。何だかわからないんだけど、とにかくギター持ってこい、と。しぶしぶ行ったんですよ。行ってみたら、オーディションやってたんです。なんか恐い顔した人達がいっぱい居て「入りにくいなぁ」なんて思ったんだけど、「おー、矢萩、来い来い来いっ・弾け!」「え?弾くのぉ?」「いいから弾け!」って(笑)。それで、何曲か弾いたんです。そしたら、その歌手とバンドの人達と何人かの人達が集まって、ごしょごしょごしょごしょ‥‥チラッて(笑)。「嫌な感じだなぁ」とか思っていたんですけど、合格しちゃったんです。

矢萩さん: 何のオーディションだったんですか?

記: それはね、浜田良美さんっていうYAMAHAの世界の歌謡祭で第1回グランプリをとった人がいて、後から聞いたら、その人のバックバンドのギタリストを選ぶオーディションだったんですよ。そこでバックバンドの仕事に初めて就いたんです。

記: その時は何歳ですか?

矢萩さん: 19歳。そこで初めてバックミュージシャン達の世界に入りました。スタジオミュージシャンだとか、そういうサポートミュージシャン達との付き合いが始まって、知り合いが増えていくわけですよ。そうしたらある日、浜田良美さんのバンドでキーボードを担当している信田さんっていう先生が、初めて僕にレコーディングの仕事を紹介をしてくれたんです。 BGMの録音の仕事でしたね。3時間くらいのセッションかな、その間に、10何曲くらい次々と録っていくんです。みんな譜面を初見でバリバリ弾く人達なんで、演奏があっという間に出来ちゃうんですよ。そこに、僕が連れてかれたと(笑)。ギターはベテランの人が1人いるんです。僕は、「リズムギターをやればいいから。コードを刻んでるだけでいいから、簡単な仕事だよ」って言われて、連れていかれたんですね。それで、ギターの人を紹介されて、「どうも、矢萩といいます。初めてなのでよろしくお願いします」って言ったら「君若いねぇ、じゃあ‥‥ロックは‥‥君みたいな若い人の方がいいよね!交換しようっ!」って(笑)、譜面を変えられたんですよ!「君がリードね。僕、楽させてね」って言って。つまり僕は、メロディ弾いたり、アドリブする役になったわけです。譜面をバッと広げたらもう真っ黒なんですよ!コピーの譜面だから、メロディもソロも全部、本物のやつを書きとめたものですよ。ガビーンッと(笑)。

‥‥何曲かはいけたんですけどね。忘れもしない、クイーンの『ボヘミアン・ラプソディー』という曲。ギターソロがすっごく難しいんですよ。「凄いのが出てきちゃったなぁ・・・」と思っていました。でもすぐに始まりますからね。テーマとかは、なんとなく弾けるんですけど、肝心のギターソロの時に、「はい、ギターソロ!」って、指揮者がピュッってやるわけなんですけど、弾けないんですよ。ボロボロになって、その先へ進めない状態ですね。その当時は"一発録り"といって、いっぺんに録ってるんです。だから、一人が間違えると、全部やり直しなんです。だから、僕が間違えるとそこで止まってしまうんですね。「はい、やめやめー。どうしたの、ギターさん?」「あ、すいません。ちょっと時間を下さい・・・」。必死で読むんですよ。でも、もう頭にカーっと血が上って真っ赤になっているので、余計読めないんです。でも、ずっとは待ってくれないから「じゃ、いきましょう」って始まってしまいますよね。それでもギターソロになると止まっちゃうんですよ。それを2回か3回くらいやったら、みんな怒り出して、「はい、じゃあ君だけ練習!テンポを遅くするから。このぐらい」っていう感じで、スタジオミュージシャンが並んでいる中で一人だけ練習させられました。余計弾けなくなるんですよ。恥ずかしいやら悔しいやら情けないやらでね。逃げたい気持ち。泣きたい気持ち。さすがに、そのベテランのギターの人が見るに見かねて、「じゃあ戻そう」って戻してくれたんです。「君はコード弾いて。僕がやるから」って。そしたらその人は、ふっと譜面を一瞥して、「やりましょう!」って言うんですよ。「え?こんな難しいのに練習しなくていいのかな」って思ったの。それを一発で弾くんですよ!!「これがプロなのか」と、すごくショックでした。終わってから、一人一人ギャラをもらって帰るんですけど、なんか貰いにくくて‥‥。ギタリストなんて、掃いて捨てる程いるから、僕じゃなくたっていいんですよ。腕の良い人だったら、一発で決めるでしょ?僕だったら、そんなかんじで時間もかかるし‥‥もしかしたら、弾けないかもしれない。そしたら、多少ギャラが高くてもうまい人呼んだ方が、最終的には安上がりなんです。僕が1時間、2時間かかって弾くものを、ベテランだったら一発で、4〜5分で弾くわけですからね。だからそういう人には二度と声がかからないんですよ。そこで、ひとつ切れたわけです。そういう世界なんですよ。生き残る為に一つ一つが真剣勝負ですよ。

記: 苦しい事ばかりで、楽しい事はなかったんですか?

矢萩さん: 多分、音楽やってる人が全てそうだと思うけど、楽器を弾くこと自体が、楽しい事なんですよ。音楽をやっているという、その行為自体が楽しい。だから、続けられていると思うんだけど、たとえば、演歌の仕事をやると「演歌なんかじゃつまんないでしょ」って言う人もいるけど、それはそれで楽しいんですよね。とにかく、ギターを弾くのが好きなんです。だから、何だっていいんです。たいていのミュージシャンは、「練習したー」っていう気持ちがないですよ。好きだから弾いてるわけでしょ?好きだから、工夫したり、好きだから、知らない事をできるようにしよう、とかしているわけで、それは別に練習じゃないんですよ。それは、楽しいギターと一緒に過ごした時間なんです。だから、練習したって意識は全然ないんです。よく、インタビューなんかで上手いミュージシャンに「練習しましたか?」って聞くと、「全然していない」って言うけど、練習しないで弾けるわけないんですよ、ギターって。特殊な楽器だからね。ただ、練習したっていう意識がないんですね。

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3.世界一の学校を作ろう!

記: 教室を開いたのは、いつ頃からなのですか?

矢萩さん: 僕が教えるようになった初めての仕事は、自分の出身校。ネム音楽院からヤマハ音楽院って名前が変わったんですけど、「そこの先生をやらないか」って声をかけられたんです。最初は、「自分が教えるなんて、おこがましいな」って思っていたんで、断ろうかと思ったんですけどね。先生をするのは初めてだし、何をどう教えたらいいかって、全て手探りだったんです。自分が学校で学んだ事をベースにして、それをもっと改良して教えていたんですけど。先生に確信があって教えていたわけじゃなくて、先生が試してたんですね、実は。生徒に申し訳ないですけど(笑)。でも、その中で、上手い生徒が出てきたんですよ。今、香西かおりのバンドの中でギターを弾いている廻大輔っていうのが、弟子ですね。Deenの田川、元WANDSの柴崎、野口吾郎BANDの中村、東京ミュージック&メディアアーツ尚美で教えている瀬戸‥‥もう、いっぱいいるんですけど、そういう人達が、その時代に出てきたんですよ。

記: 弟子が有名になっていくと嬉しいですよね?

矢萩さん: 嬉しいですよ。だから、余計面白くなりますね。そんなことをやっていて、ある日、ロサンゼルスのMIっていう、ロック系の音楽学校では、その当時、すごく有名な学校があるんですが、そこのアジア担当者で、ギタリストのキース・ワイアットという人と一緒にセミナーとかをやるようになったんです。彼が、その当時、西葛西にあるTCA(東京コミュニケーション・アート専門学校)っていう、大きな音楽系の専門学校で教えていたんですよ。彼から薦められて、YAMAHAを辞めてそっちの学校に行ったんです。その学校はアメリカのMIの姉妹校のような感じで、提携を結んでいたんです。アメリカのテキストを直訳したテキストを使って、生徒に教えていたんですよ、最初の1年。ところが、気質が違うでしょ?アメリカ人とは。だから、日本人の生徒達には、そのテキストは全然合わなかったんです。それで、1年間成果が出なかった。そういう状況の時に僕が、自分の書いたテキストを持って行ったんです。要するに、むこうはそのテキストが欲しかったんですね。「じゃあ、うちの学校にテキスト持って来てくれ」とのことだったので、カリキュラムディレクターという役職もいただき、ギター科のテキストは全部僕が書くことになったのです。

そこでまた多くの生徒を育てて、色んなテキストをまた更に書いて。今一緒にやっているパートナーの李偉玉さんと法田勇虫さんというギタリストがいるんですけど、その二人とは、そこで知り会ったんです。みんなで「日本一、できれば世界一の音楽学校を作りたい」っていうスローガンを揚げて、頑張ってやっていたわけですよ。その当時は、先生達もそういう意気込みを持ってたし、スタッフサイドの学科長とかもそういう意気込みを持っている人達だったんですよ。「そうだ、一緒にこういう学校をつくろう!」「おー!」って。ところが、その学科長だとかスタッフサイドの人達が左遷されちゃったんです。そうしたら学校の体制が大きく変わり始めてしまい、僕達の思っていたものと、大きく変わってしまったんです。そこで3人とも辞めたんです。みんなで集まって、「どうしようね?」って話をしていたら、「じゃあ、教室を始めよう!」って僕が言い出して、「ああ、それはいい考えだ。やろう!」っていう事になって、始まったんです。でも‥‥難しいですね(笑)。教える内容はぎっしり持っているんだけど、何といっても資本力がないですからね。

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4.音楽を通じて、ステキな場の教室を

記: 働いていく上で、夢は持っていますか?

矢萩さん: 自分個人の夢もあれば、この教室に関しての夢も、もちろんあるんです。教室は今、音楽教室を母体にしていますが、ゆくゆくはそれを核にして広げていきたいと思っています。たとえば、音楽制作だとか、ミュージシャンを派遣したり、講師を派遣したり。音楽関係の出版物も出したい。ここに関わった全ての人が、何らかの形で、満足できるような、"システム"って言ったらいいのかな、僕はよくミュージシャン互助会って言っているんですけど、そういうようなものを作りたいなと思っているんですね。つまり、生徒という立場で関わった人、講師という立場で関わった人、ミュージシャンという立場で関わった人、全ての人が満足できる、関わってよかったなって思えるシステム、そういう場所を作りたいですね。ここはできるだけオープンなスペースにして、ミュージシャンがふらっと「お茶のみに来たよ」と、いうような場所にしたいと思っているのですが、これもなかなか・・・。実現はまだしてないですけどね。

僕にとって、そういう活動というのは、自分個人の活動でもあるし、芸術活動でもありますけど、それはもっと大きく言えば、文化活動ですよね。文化っていうのは、平和でないと実現できないものですよね。たとえば世の中が戦争状態だったら、音楽どころじゃないですから。だから、それは平和な社会を築く為のひとつの"武器"になっているんですよ。文化をどんどん進めていく事によって、日本を平和にしたいし、そういう気持ちを持った人を増やすということですよね。文化を愛する人というのは、戦争を愛してはいませんから。文化を愛している人は、やっぱり平和を愛しているんです。だから、そういう人を増やしていけば、国が戦争に向かっていくというリスクは少なくなりますよね。この文化を推し進める活動は、そのまま平和への活動になると思っているんです。だからここは、そういうことをやる為の、そういうことを発信していく場所でありたいですね。

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5.忘れちゃいけない。何のために音楽を?

記: 矢萩さんのように、すごい実力をつけてくると、個人として活動したくなったりしないんですか?

矢萩さん: ああ、なってます(笑)。今は渡辺真知子さんのサポートバンドのギタリストになっていますけど、仕事の中心が、人をサポートするということでずっとやってきましたからね。それにしばらく満足していたんですけど、最近ちょっと心境が変わりまして。自分がアーティストとして活動していきたいと思うようになってきたんです。それで、準備中です。

記: 矢萩さんの息子さんからお話を伺ったんですが、一般の人にとって、たとえばコンサートだったりすると、高いお金払ってくるわけですよね。そのお客さんにとっての、一時の幸せのようなものが音楽にはあって、その音楽を届ける人達と一緒に仕事をしているのが、矢萩さんがサポート役でギターを弾いていて、一番良い‥‥って。「うわ〜!!」って、衝撃を受けたんですよ。

矢萩さん: そうですね。お客さんが喜んでいる顔を見るのはすっごく幸せですよ。たとえば、渡辺真知子さんのコンサートに行くと、お客さんがみんなすっごく喜んでくれているんです。渡辺さんがいるから、みんな喜んでいるんですけどね。だから実際、力があるのは渡辺真知子さん。僕はそれをお手伝いさせてもらっているわけです。その事自体がもう、嬉しいんですよ。人を喜ばせる事をやっている人のお手伝いをしているわけですからね。少しは役に立っているかどうかはわかりませんけど。人はやっぱり日常生活の中で、悩みとか、苦しみとか色んなものを持って生きているわけでしょ。コンサートに来ているお客さんも、その時は幸せそうに楽しそうに見えても、一人一人になった時に、どんな悩みや苦しみを持っているかはちょっとわからないですよね。でも、おそらく持っていると思うんですよ。中には、自分の悩みなんかより、もっと深刻な悩みを持っている人がいないとも限らないでしょ。もしかしたら、明日には死んでしまう人がいるかもしれないし。そういう人達がやっとの思いでコンサートに来ているんです。その日常生活から離れたくて、一時の安らぎや楽しみが欲しいんですね。リフレッシュしたいと思ってくるわけですよね。その人達に対して、どれだけ応えてあげられるかっていうのは僕の使命ですよね。お客さんと出演者という関係に過ぎないし、もう会わないかもしれないですよね。そうすると、その時に僕はその人に何を与えられるか、ということですよ。何も与えられないんだったら価値はないですよ。

記: そういう思いで楽器を演奏している人というのは、他の人とは何か違うものがあると思います。

矢萩さん: ‥‥だといいですね(苦笑)。

記: 音楽を仕事としてやっていく上で、一番大切なものは何でしょう?

矢萩さん: 何の為に音楽をやるのかっていう使命感が一番大事かな。よく教室の生徒の中にも、「バンドでデビューして、自分で歌ったり弾いたりして、有名になりたい」っていう人がいるんだけど、「何で有名になりたいのか」「有名になって何か良い事があるのか」と問い詰めていくと、大した理由はないんですよね。「有名になってお金が欲しい」とかね。すると何も残らなかったりするんですよ、実は。たいていの人は自分の欲を満たすことを目標にしているんです。「有名人になりたい」「うまいって言われたい」「カッコイイって思われたい」「CDがいっぱい売れて、印税が欲しい」とか。言い方を変えれば"欲"ですよね。自分を幸せにする為だけの欲なんですよ。全部。

ミュージシャンになるっていう最初のきっかけはそれでもいいと思うんですよ。僕もそうでしたし。カッコイイなと思って憧れたわけですからね。それは自然だと思うんです。ただ、ミュージシャンとして何年もやってきて、いつまでもそうだったら、それは人間として成長がないですよ。いい歳してさ、30歳40歳になって、まだその欲の為にしか音楽をやっていないとしたら、それでいいんだろうかって思うんです。ミュージシャンとして成長していく過程で、やはりいつかは「これでいいんだろうか?」って思う時が来なきゃだめだし、さらにそれを乗り越えて「この為にやるんだ!」という、その人なりの使命、目的が必要だと思うんですよ。それが多分音楽をやっていく上で一番大事なことだと思います。

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6.音楽とは何か。音楽を志す人への思いを込めて

記: 矢萩さんにとって音楽とは?

矢萩さん: 僕にとっての音楽とは"道具"であり"武器"なんですよ。音楽は、ストレートに耳から脳に到達するでしょ。心までいっちゃうんですよ。これはすごい強い"武器"ですよね。たとえば、独裁者がいてね、その人が「お前達今から楽しそうに笑え!」「拍手して、とにかく楽しそうにしろ。歓声をあげろ!」って言っても、恐くてそれに従う人もいるだろうけど、心は歓喜していないわけですよね。嫌々、しょうがないと思いながら、身体は従っても、心は従わない。だから、本当の意味では、その人がいくら権力とかで命令したとしても、人は動かないんですよね。ところが、音楽家になって、大ヒット曲があって、コンサートを開いて、その人が、「イエェーーーイ!!」って言えば、みんな「イエェーーーーイ!!!」って言うわけじゃないですか。別に笑えって言わなくても、楽しい話をすれば、「うわ〜!」って楽しく笑って、何千人何万人の人が一斉ににそういう事するわけでしょ。命令していないのに。これはすごい力ですよ。音楽の力ってすごいですよ。だから多分、トップに上り詰めた人達は、その力を手に入れたことになるんですよ。スーパースターになった人達は、自分以外の人達を自由に操る力を手に入れたようなものです。

その力っていうのは凄い力だけど、下手をしたら、さっき言った独裁者の様に、良くも悪くも使える力ですよね。それを自分の欲の為に使おうと思えば独裁者になってしまうし、みんなの幸せの為に使おうと思えば指導者になりうるでしょ、良い意味での。音楽はそれくらいの力を持っているんです。だから、音楽は僕にとって"武器"になるかな、と思うんですよ。ご近所の疲れているおばさんの前で、その人が好きな曲を演奏してあげたら、少しはその人の心が軽くなるわけでしょ。それって、実は凄く大事なことだと思うんですよ。そういう事を僕は音楽でしかできないので。それが"武器"なんです。"道具"であり"武器"である。

記: 音楽家を志す人達に何かメッセージをお願いします。

矢萩さん: 何の為にやるのかっていう事を、その場ですぐに答えは出なくてもいいから、ずっと求めてて欲しいな。中学生、高校生とか、反抗期にある子たちにとって、体制側に対する批判っていうのはすごくウケるよね。たとえば、先生達への批判っていうのは、すごくウケるわけでしょ。ウケたいが為にあえてそれをやる、つまり売る手段として、先生を誹謗中傷するような歌詞を作るとか。でも、「それっていいんだろうか?」って考えてほしいんです。中にはそう言われてもしょうがない先生もいるかもしれないけど、そうじゃない先生だっている。それなのに、自分が「売れたい」っていうことだけで、もしそういう手段をとるとしたら、それはいいのだろうか?

「何の為に音楽をやるのか」という事を突き詰めていかないと、そういったことが平気でできちゃうミュージシャンが現れるんです。要するに、欲の為にだったらできてしまいますよね。売れればいいんですから。そういう人にはミュージシャンにはなって欲しくないですね。ミュージシャンっていうのは、文化の中の音楽っていうジャンルで、音楽活動を推し進めていく事によって、社会の平和を求めていく人達だと思うんです。そうじゃない人達はミュージシャンじゃないと僕は思うんです。常に聖人君子のような歌詞を書け、なんていうことじゃないですし、表現としては色んな表現があっていいと思うんです。ただ、その心ですよね。目指すところが狂っていると、よくないんじゃないかなって思っているんです。

記: どんな音楽をこれから伝えていきたいと思っていますか?

矢萩さん: 若い人だけではなくて、周りのおじちゃん、おばちゃんとかが聴いても楽しめるような、それでいて主張もあり、一般にアピールする力もある音楽を作っていきたいと思っているんです。ちょっと抽象的でしたね。ただ、ミュージシャンの中のみんながそういう風に考えているわけではないんです。現状は"欲"を追い求めている人もいっぱいいるので。どっちかっていうと、ミュージシャンはちゃらんぽらんなイメージがあるんじゃないかと思うんですけど、実際そういう人は多いんですよ。その日暮らしっていうか、その場が楽しければいいっていう、フィーリングだけで生きている人が、いっぱいいますよ。自分のことが一番大事で、欲が強すぎちゃう人やセーブが利かない人とか、ちょっと常識から逸脱した行動をとる人っていっぱいいますからね。ミュージシャンって普通から比べたら派手な性格な人が多いですからね。はめ外す事も多いし、バカな事やりますよ(笑)。その中で、さっき言ったような話はなかなかできないんですよ。「何の為にやるの?」って言ったって、「楽しいから」「やりたいから」って言うだけで。哲学を持った人だとか、使命感を持った人なんてなかなかいないんです。何人かはいますけど。そうした人達とは交流を深めています。

記: やはりその使命感や、哲学を持った人がどんどん増えていったらいいですね。

矢萩さん: 増えていって欲しいですね。

記: 長い間ありがとうございました。

矢萩さん: お役に立てれば、嬉しいです。

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7.取材後に頂いたメッセージ

取材後に矢萩さんが、取材時には言いきれず、どうしても伝えておきたいことがある、とお寄せいただいたメッセージです。


人は誰でも、どんな人にも必ず使命がある。私を待っている人が一人でもいれば、私がギターを弾く意味もあるのです。

「『人は誰でも、どんな人にも必ず使命がある』。これは生徒に対して、よくこのように話すのですが、同時に自分に対して言っていることでもあります。

初めは誰しも憧れや欲が原動力になって音楽を始めます。初めはそれで良いのですが、成長していくうちにだんだんと、「何のために音楽をするのか」ということが大きな問題になってきます。現実の社会は厳しいものです。毎日の生活との戦いの中で、自分の夢も希望も押しつぶされそうになってしまいます。現実と理想のはざまで悶え苦しむことになります。「こんなに苦しい思いをしながらミュ?ジシャンを続ける意味があるのだろうか?」「ギタリストなど五万といる。自分がギターを弾く意味がどこにある?」そう考えると気力は萎え、もうギターをやめてしまおうかと考えてしまいます。ですから、「何のために」を見つけなければ、もう一歩も前へ進めません。

そんな時に必ず思いおこすのが、私の師匠の池田先生がおっしゃっていた「どんな人にも必ず使命がある」という言葉です。

どんな音楽を聴いて感動するかは、まったく人それぞれです。同じ音楽を聴いても、ある人は感動し、ある人はまったく何も感じない、ということはよくあることです。これを逆に捉えれば「私のギター、私の音楽でなければ救われない人がいる」と言うことです。その人は、自分では気付いていなくても、心の奥底で私の音楽に出会えるのを待ち望んでいます。私の音楽に出会った時に、なぜか、心から安堵し、涙が出、癒され、さらに命がよみがえり、希望がわいてくるのです。そう言う人がこの世界の中に必ずいます。世界の中でたった一人かもしれませんが、必ずいます。私を待っている人が一人でもいれば、私がギターを弾く意味もあるのです。その一人のために。

私はその一人のために、技術を磨き、創作し、人間的にも成長しなければなりません。また、早くその人の前に現れ、音楽を聴かせてあげなければなりません。

私の目の前にいる大勢のお客さんの中の一人がその人かも知れません。

私の目の前にいる生徒の中の一人がその人かも知れません。

私が一日の中で会った多くの人の中の一人がその人かも知れません。

私は戦争に反対します。その大切な一人が殺されるかもしれないから。

ですから、私には使命があるのです。だから頑張れます。

音楽家と言うのは職業を言うのではなく、生き方を言うのです」。

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8.記者が取材後に感じたこと

▼取材はいつ、どこで?

記者名: 吉田秀樹

取材日: 2001/5/13(日)

取材時間: 13:00〜

取材地: 両国にあるナビゲーターさんのギター教室「G-Works」

取材の雰囲気:


心に響いたOnlyOneWord! - __

取材は、矢萩さんが開設している教室で行ったのですが、まずその教室が予想とは大きく異なっていました。もっと”いかにも”な雰囲気なのかと思って構えて行ったのですが、よい意味でその期待を裏切ってくれました。普段ミュージシャンの方とお話ができる機会など滅多にないと思います。本当に貴重な体験をする事ができました。矢萩さんは、こよなく音楽を愛し、平和を愛し、仕事をする上での目的意識のようなものがしっかり持っていた事に強く心を打たれました。取材後に、音楽とはどんなものなのか、音楽が持っている力などを改めて考えさせられました。取材後に目の前で、生の演奏も聴かせていただき、感動いてしまいました。この日矢萩さんに取材ができたことを忘れることはないと思います。本当に素晴らし一日をすごすことが出来ました。

吉田秀樹(17歳:取材時)


心に響いたOnlyOneWord! - 音楽とは武器であり、道具である。

今回の取材でもっとも心に残った言葉は、「音楽とは武器であり、道具である」というものでした。音楽と「武器」。。。「道具」の方はまだ想像がついても「武器」という言葉とはまったく結びつきがつきませんでした。しかし、矢萩さんのお話を聞いて納得しました。音楽とはとても強大な力を持っていて、人を喜ばせることも、楽しませることも、悲しくさせることも、傷つけることも簡単にできる。その意味で「道具」となり「武器」となりえる。音楽の力を再認識できた取材でした。

久保田貴晴(18歳:取材時)


心に響いたOnlyOneWord! - ギターを弾くというその行為が楽しい。

今回の取材で一番印象に残ったことは、矢萩さんの音楽に対する熱意です。矢萩さんは、十代のころからずっと音楽をやってきた方です。苦い経験もありながらも、自分のやりたいことをやってきて、大好きなことにとことん情熱を注いで生きてきた。それって、とてもかっこいいし憧れるけど、実は不安もたくさんあったしいつもかっこいいだけじゃなかったんじゃないかな、と思います。その長い道のりの中で、矢萩さんは何のために自分は音楽をやるのかという使命感・目的をしっかり持ってきた。それが音楽をやっていくということだし、そうでなければ、相手に何も与えることができないだろう。このことは、音楽に関わらず、何かを志すすべての人に言えることだと思います。私も実際、好きなことばっかりやってきて、これからもそうして生きていこうとしています。だからこそ、もう一度しっかりとなぜ自分はやりたいのかということを考えてみようと思いました。そして、取材が一段落ついてから・・・目の前でギターを弾いていただきました。勝手に自分のために弾いてもらってる気分になって、すごくうれしかったです。音を”聞いた”というより”体感した”というかんじです。ぞくぞくしながら、口あけて座ってました。”ギターを弾くことが楽しい。”という矢萩さんの言葉を身にしみて実感。ほんとうに、よい一日でした。

浜屋公紀子(22歳:取材時)


心に響いたOnlyOneWord! - 相手に何かを与えなければ意味がない

キャリナビに入って初めての取材でしたが、率直な感想は「取材ってこんなに楽しいものなのか」です。このような感想を得られたのは、きっと矢萩さんのお人柄と歩まれた人生、それにすばらしい生演奏があったからだと思います。
矢萩さんは若いころにギタリストを志すことを決めたそうですが、やはり音楽の世界。余りあるほどいるミューシャンののなかで生き残るために、数々の厳しい試練をうけたようです。その試練はベテランミュージシャンに混ざってセッションに参加し、初見ができなくて大恥をかいてほかの人たちに大迷惑をかけたり、ホテルのバーでのバックミュージシャンをして大失敗し歌手やマネージャーに怒られ土下座したり。しかしこのような苦しい経験をしてもギターを嫌いになることはなく、その経験を糧にして練習を積み重ねていったといいます。しかし「練習」という言葉は矢萩さんの中に存在せず、「好きなもの(ギター)と向き合っている楽しい時間」にすぎないのです。「好きこそ物の上手なれ」とはまさにこのことだと思いました。そういうひとたちは試練も試練だという意識がないのですね。
こうして音楽活動を進めていく過程で、矢萩さんが見つけたことは、音楽活動をする「目的」や「使命」だそうです。最初は単に「ギターがうまくなりたい」や「有名になりたい」という気持ちからスタートした音楽活動でも、活動をする上で相手(社会)に「何か」を与えなければ活動の意味がない、と矢萩さんは言い切りました。ライブやコンサートなどで、日常から逃避したいと思って来ているかもしれないお客さんや、自分よりも断然深刻な悩みを抱えているかもしれないお客さんに、ひと時の幸せや安らぎを与えられたら、と考えているそうです。「自分」への投資が、年数を経る過程で「他人や社会」へ還元されないと結局はその投資は無意味であり、自分の欲を満たすためだけの活動になってしまうのです。最近、このような目的をもって音楽活動をしようと考える人が少ないとおっしゃいました。このような社会でミュージシャンを目指す人たちに、「何のために音楽をやるのか」ということを常に考えてほしいそうです。このことは何も音楽の世界だけにとどまらず、全ての活動に当てはまると思いました。
それにしても、お話を聞いた後の生演奏は本当にすばらしかったです。アコースティックギターも初めて持たせていただきました。みんなでギターを持って撮った集合写真がかなり楽しみです。きっと私はすごくぎこちなくギターを抱えていることでしょう。(笑)

林香菜子(20歳:取材時)

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