コラム - 第6話


第6話 - アマンドラ!  by 矢萩 秀明
 私のアルバムのタイトルは、私のオリジナル曲「AMANDORA〜もっと力を!〜」をそのままタイトルとしたものだ。

AMANDORA CD

 「もっと力を!」と言うサブタイトルから分かるように、パワーをイメージした曲だ。パワー(力)と言っても様々なものがある。その意味するところは、武力、暴力、権力などの破壊と隷属を求めるハードパワーではない。逆に、支配される民衆、政治から置き去りにされた庶民、世の不条理に耐えながら真面目に生きている名も無き人々を団結させ、目覚めさせ、幸福に導いていくソフトパワーを意味している。私の回りにはこうした草の根の活動を続ける友人がたくさんいる。誰に認められなくとも、褒められなくとも、無理解な批判や偏見による中傷、利己的な自分を棚にあげての冷笑を浴びせられても挫けず活動を続ける名も無き人々だ。私はその人達に敬意を表する。

 私がアマンドラと言う言葉に出会ったのは1994年に南アフリカ共和国初代大統領になったネルソン・マンデラ氏が初来日した時だ。朝しか配達されないS新聞の記事の中に「アマンドラ〜もっと力を!〜」と言う言葉を見つけ「これだ!」とひらめいて、そのイメージで曲を作った。1995年7月のことだ。それ以来、私の代表曲として何度も演奏している。

 さてこの時はアマンドラについて分かることは「もっと力を」と言う意味らしいと言うことだけだった。綴りも、正しい発音も、本来の意味も分からなかった。私のアルバムを作るにあたって綴りを再考したのだが、結局ローマ字て「AMANDORA」とした。あくまで私のイメージの中でのアマンドラなのだ。細かいことを言えばイントロの壷はアフリカンだが、リズムはサルサのようだし、ギターのメロディーは歌謡曲ロックのようだ。ちっともアフリカンではないのだ。もちろんちゃんとしたラテンでもない。きっと南アフリカの人が聴いたら、私達が白人映画の中で日本人と中国人を混同した表現を見て感じるような奇妙さを感じることだろう。一部のマニアックな日本人ミュージシャンにその形式の不備を指摘されたり、笑われることもあるが、私は気にしていない。私は日本人であり、所詮どんな洋楽をやってもインチキであり、もどきにしかならないからだ。だから私は開き直って「インチキ・ラテンです!」と言っている。私にとって大切なのは音楽の形式ではなく、イメージの具現化であり、何より聴いた人に何を伝えられるか?が最も大切なのだ。ちなみにマイルス・ディビスも同名の曲を発表している。レンタル屋で借りて綴りを見てみたら「AMANDOLA」だったか、その時はなぜかマイルスのアマンドラが南アフリカのアマンドラとは同じものとは思えなかった。

 ところが、昨年アマンドラと言う映画があることを知った。私の友人でダンスの先生をしているKさんがその映画を見たこと、内容も音楽も良かったので私にもぜひ見て欲しいと言って来たのだ。私が多忙なスケジュールをこじあけて行こうとした時、映画はすでに上映期間を過ぎていて見ることはできなかった。さて、本年2005年4月19日にアルバム完成記念ライブを原宿のブルージェイウェイで行った。平日の夜にもかかわらず満員のお客様を迎え大盛況で終わることができた。その二日前の晩、アマンドラの曲紹介をするには映画のことは外せない。アマンドラの正しい綴りは?意味は?発音は?私はインターネットで情報を集めた。アマンドラで検索すると映画を制作したリー・ハーシュ監督のインタビュー記事を見つけた。それにより綴りや意味など色々なことが分かった。正しい綴りは「AMANDLA」で、意味は「力」だ。

 映画のタイトルは、『アマンドラ!希望の歌』。2002年南アフリカ=アメリカの作品で、原題は『AMANDLA!  A REVOLUTION IN FOUR PART HARMONY 』。配給はクロックワークス社。1972年生まれのリー・ハーシュ監督は、高校生の頃にアパルトヘイト政策を驚きと怒りをもって目撃した。そして、自分も何か南アフリカの変化を助ける事ができるはずだと思った彼は、二十代の大半を南アフリカで過ごし、十年もの歳月をかけてこのドキュメンタリー映画を完成させたのだ!彼のインタビューを紹介しよう。「一番大変だったのは資金集めの問題だね。それから、何としても制作を続ける努力をすること。五年も六年も続けていると、周囲には呆れられたし、借金も増えた。その中で自分のビジョンを守り、この映画を完成させて世界に見せるんだと、諦めずに続ける努力をするのはすごく大変だった。失望と喜びの波に何度も出会ったよ。」

 映画は、南アフリカの多くのミュージシャン(!)、反アパルトヘイト活動家、関係者らの証言や唄、そして貴重な当時の映像によって、白人政府による愚劣なアパルトヘイトの歴史を洗い出してゆく。アバルトヘイト政策とは南アフリカ共和国における白人による黒人達に対する過酷な人種差別政策た。人口比率20%に過ぎないよそ者の白人が、もともとその土地に住んでいた黒人達を国土の14%の貧困地区に隔離し、権利を奪い迫害し続けたのた!選挙権の剥奪はもちろん、公共施設からの閉め出し、雑婚の禁止などあらゆる権利が奪われ、基本的人権、人間の尊厳を蹂躙する非道な差別法がまかり通っていた。抗議したり、歯向かったりした黒人は容赦なく投獄されたり殺されたりした。反アパルトヘイトのリーダーだったネルソン・マンデラ氏は26年間も投獄されていたのだ!!そんな苛酷な隷属下に於いて、黒人達の最大最強の「武器」。それは、驚くなかれ、「唄」であった。選挙権もなければ、戦おうにも体制側白人の持つ圧倒的武力にかなう戦力など持ちようのない黒人達にとって、「唄」と「誇り」こそが何よりもの武器であったのだ。日常の生活はもちろん、闘いの現場で、悲しみの渦中で、刑務所で、絞首台で(!)、あまたの唄が紡ぎ出され、不屈の魂を鼓舞してきたのだ。1980年代に入り、レジスタンス運動はさらに激化。白人政府は非常事態宣言を公布する。世界的な反アパルトヘイトの声の高まりと共に、抵抗する若者達は唄と踊りが一体化したジンバブエの「トイトイ」で士気を鼓舞する。銃も催涙ガスも最新兵器もなかった黒人達は「トイトイ」を唯一の武器として戦った。数万もの人々がトイトイを歌い踊りながら敵に突撃してゆくのだ。これには圧倒的な武力を持つ白人政府の方が恐怖を感じたという。こうした状況を背景に1990年、ネルソン・マンデラ氏が釈放された。やがて1994年に黒人達にとっての初の選挙でアフリカ民族会議が勝利し、ネルソン・マンデラ氏が大統領に就任するのだ。これにより悪名高きアパルトヘイト政策は撤廃された。まさに南アフリカの革命は世界で唯一の音楽で実現した革命なのだ!!!ハーシュ)監督は、我々日本人にこう呼びかけている。「他の全ての武器は我々の手から取り上げることが出来ても、声だけは舌をひっこ抜かれない限り取り上げることが出来ないし、人々が歌うことを誰も止めることは出来ない。アメリカが起こしている現在の状況に対して、何らかの闘争や運動をしている若い人達に、この映画が手助けになるようであれば本望だと思ってます。音楽が持つパワーと美しさを感じ、何かを変えることが出来ると知って欲しい。日本の皆さんにこの映画から刺激を受けてもらいたい。」

 さて、こうして色々なことを学ぶことができたのだが、発音についてはどうしても分からなかった。そこで映画を見たことのあるKさんに尋ねてみたのだが、覚えていないと言うことだった。責任(?)を感じたKさんはわざわざアフリカン・ダンスをやっている友人やS大学のアフリカ研究会などに問い合わせて調べてくれたのだが、やはり分からなかった。そこでもう一度インターネットで調べてみると、映画のサントラ盤があることを知った。さっそくCDショップで購入して聴いてみると。

アマンドラ!希望の歌

あった!!!1曲目にそのものズバリが収録されていた!リーダーが『AMANDOLA!(アマンドラ!)』と叫ぶと民衆が『AWETHU!(アウェイトゥ!)』と応えるコール&レスポンスの様子が聴けるのだ。このシュプレヒコールを繰り返した後にはさらに英語で「Power!(力を!)」と呼びかけると「To The People!(人々の手に!)」と応える様子も収録されていた。発音は「AMANDOLA!(アマンドラ!)」は「ァマーダ!」と聞こえる。「AWETHU!(アウェイトゥ!)」は「ァウェイ」と聞こえる。早速、記念ライブのMCの中でこうしたいきさつを話し、お客さん達と『AMANDOLA!(アマンドラ!)』、『AWETHU!(アウェイトゥ!)』とコール&レスポンスをやったのは言うまでもない。

 以前、キャリナビのインタビューの中で「音楽は道具であり武器である。」と言ったことがあるのだが、まさに南アフリカにおけるこの革命がその証拠であり、良いお手本であると思う。音楽は人の心をつなぐ力がある。だからこそ悪用されてはならないのだ。音楽に直接携わるミュージシャンこそ、このことを良く認識していなければならないと思う。

AMANDLA!


2005年5月8日 母の日を記念して 矢萩秀明


 本文中における反アパルトヘイト運動の歴史やハーシュ監督の言葉などは「中川敬のシネマは自由をめざす!」より引用しました。
戻る | 第7話へ
Copyright (C)2001-2005 Hideaki Yahagi. All right reserved.
当ページに掲載されている全ての画像、文章、データの無断転用、転載をお断りします。