第74話 – 恩師 高柳昌行先生


先日、友人のSさんより私の師匠の高柳昌行先生の生前のお話をお聞きすることができた。
私がネム音楽院で先生のレッスンを受けたのは1年半くらいであったし、先生は近寄りがたい雰囲気で気軽に世間話ができるような方ではなかったので、私語を交わしたことは一度もないかもしれない。それでも先生への尊敬の念は今でも変わることはない。
先生のレッスンは本当に厳格なものだった。
文字通り叩き込まれた基礎的な技術はその後の私の演奏力の礎となった。
時が経ち今では私も多くの弟子を持ち教室を開いて後進の指導にあたっている。
高柳先生はどんな気持ちで私達に教えていたのだろうと思いを巡らしてみる。
当時どこの山猿かと思うような田舎者の無知な私達を生徒に持って、高柳先生はこいつらをどうやって2年間でプロにしたらいいんだ?と悩まれたに違いない。
そして、先生は演奏の基礎であるピッキングとフィンガリングだけをほぼ1年かけて私達に叩き込むことを決断したのだろう。

 

先生に教えていただいた技術の上に自らの研究や経験から得た事を積み重ねていったことで私の技術が出来上がっている。
いつぞや私はピッキングを研究していてクラシックのアポヤンド奏法をピッキングに応用するととても良い音がすることに気づいた。
これは世紀の大発見だとばかりにネム音学院同期のギタリスト仲間に電話した。
そして自分が発見した画期的なピッキング法を興奮気味に話した。すると話しを聞いた友人は「バカ!それは高柳先生に最初に教わったことだろう。忘れたのか?」と呆れるように答えた。そう高柳先生はとっくにそんな事はご存知で既に私は教えてもらっていたのだった。

先生は晩年は全身に癌が広がり、その痛みに苦しんだそうだ。
1991年6月23日に肝不全のため58歳で永眠された。
最後には痛みを抑えるために身体にさらしをきつく巻いて演奏されたそうだ。
さぞお辛かっただろうと心が痛むと共に先生の演奏に対する執念のすごさが伝わってきて感動した。

また、ここには書けないが私の知らなかった驚きの事実をお聞きして本当に驚いた。
先生のご活動の様子を詳しく知れば知るほどに先生のお人柄が解ってきてますます好きになり尊敬の念も深まったと思う。
出来ることなら先生がご存命の内にお会いしてお話しをしたかった。
高柳昌行先生に深く感謝しています。
ありがとうございました。

2018年6月25日 矢萩秀明

高柳昌行先生に関する詳細はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)で知ることができます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9F%B3%E6%98%8C%E8%A1%8C