第77話 – 切られた木はまだ生きている


次の文章はギター・ビルダーの表克美氏の2020年8月8日の投稿から本人の了承を得て引用した文章である。
少々長い引用であるがおつき合いいただきたい。

『切られた木、切られた木材は死んでいると思っている人が大半であるが、小生達ギタービルダーや、家具ビルダー、宮大工の様な職人達は切られても尚、木は生きている事を知っている。
生きて大気の変化や、振動波に敏感に反応している。
なのでその特性を活用して楽器や家具、工芸品などに、利用させて頂いている。

しかしながら、その事を見抜く目を養う事は容易ではない。斯く言う小生も、未だその眼を修業中の身なのだ。40年以上勉強してきて未だ完璧に見抜けはしない。毎日変化する木の命を見つめている。

しかしながら、この事が利益の為の大量生産を生業にしている企業には始末に負えない厄介な事なのである。
したがって、容易にコントロールする為に塗装や、接着の方法(ポリウレタンや、ボンド)を多用して(木を)殺してしまう。商品価値を上げる為に、単板使用とか、ワンピースとか言う言葉を数多く使いパンフレットやPRの文句に使う。確かに単板は死ぬまで時間がかかる為、作られて数年はその影響で合板よりは、鳴ってくれる。
木材が呼吸しない様にポリウレタンで導管の入り口や出口を塞ぎ、閉じ込めてしまうのだ。
こうすれば、狂いや動きを封じ込められるし、面倒な木の目を読みながらの裁断や加工は必要が無くなり、生産効率が上がる。そして、原価率が正確に読めて利益も読める。
ギターで言えば米国のF社や、G社、日本にも大きな生産量で販売するいわゆる、大手の工場生産をしているブランドは大半がこの生産法である。もちろん、値段も安い。

それに、反して昔ながらの職人技で一つ一つ選び抜いた材で、その技術でハンドメイドで作られている物もある。
欧米ではこれ等の商品と量産品はキッチリと住み分けされて売られている。ところが、日本ではこの住み分けが曖昧にされている。
したがって、ハンドメイドと量産品が、同じ土俵で勝負しなければならない市場なのだ、、、。
この壁の厚さは半端な厚さではない。ギターで言うなら、ビンテージと中古品の境目が曖昧なのである。
それは、ブランド志向の強い日本では尚更、曖昧になる。

小生は、F社のギターは、ハンドメイドで生産されていた1965年までがビンテージと思っている。
何故なら、その木は未だ生きているからである。それ以後の量産品は既に息絶え、死んでいる。もちろん、死んで尚、鳴る物も多少はあるだろう。しかしながら、それは、ビンテージでは無い。只の中古品なのだ。
G社も1966年以降は同じである。特に米国はハンドメイドで作られその評価が上がると大手の会社による買収でブランドを使った大量生産に切替え、ビジネスサクセスへと繫がれる。

仕方の無い事かも知れない。でも、日本のユーザーに考えて欲しい。その境界線だけは、しっかり見て判断し購入して欲しい。
でないと、優秀な日本の木工技術と職人が死んで行くのだ。
日本のギター製作技術は世界のTOPの座にあるのです。』

以上、引用。

表克美氏の『切られた木、切られた木材は死んではいない。切られても生きている。』と言う言葉は衝撃的であるが、私はこの言葉を聞いて、表克美氏の意図したテーマとは少々次元の違う内容だが、「草木成仏」と言う言葉を連想した。

日本の仏教思想に「草木成仏(そうもくじょうぶつ)」の思想がある。

人間等の心の働きをもつ「有情」に対し、心の働きのない植物などを「非情」または「無情」と言う。
「成仏」とは仏になることを意味するので、「心の働きの無い物質であっても仏に成れる」と言う意味になる。
日本民族は元々は多神教であり、すべての者に八百万の神が宿ると信じて来たわけだから、この仏教思想も受け入れ易い。
となれば我々が単なる物質だと思っている木材にも命が宿り、それ相応の境涯があることになる。
確かに弓や槍になる木は生き物を殺す運命であるし、それに対して椅子や机などの家具になる木は人の生活の役に立つ。ましてや仏像に刻まれる木は信仰の対象になり人を救う。

楽器、とりわけギターはどうだろう?
腕の良い職人に1本1本、愛情を込めて丹念に作られたギターと儲ける為に大工場で大量生産されたギターでは同じであるはずが無い。
たとえ大量生産されたギターに上質な木材が使われていたとしても、どのような職人に出会い、どのように愛情や情熱を注がれて作られたのかによってギターの境涯が違うからだ。

同じような事はギターとそれを弾くギタリストとの関係にも言えることだろう。
境涯の高いギターであっても、それを弾くギタリストの境涯が低いのではそのギターから最高のサウンドを引き出すことは出来ないのが道理だ。

我が身を振り返ると、これは大変な問題だ。
自分は良いギターを所有しているが、そこから良い音楽を紡ぎ出せるか否かは自分次第だからだ。
傲慢と虚栄を捨て、謙虚に真摯に精進しなければならないと思うのだ。